2008年4月        

4月13日 東京クライス・アンサンブル演奏会(ハクジュホール)

ヴィオラの菅沼準二を中心に、15人の奏者で構成される「東京クライス・アンサンブル」。
春秋2回の定期演奏会を企画、春にはブラームスの室内楽を連続してとりあげ、
最終的に全曲演奏するといい、
旗揚げ公演の今日は、そういうわけで、オール・ブラームス・プログラム。
弦楽6重奏曲第1番、弦楽四重奏曲第2番、そしてピアノ四重奏曲第1番という内容でした。

前半の2曲は、アンサンブルとしての魅力が前面に出た演奏。
最後のピアノ四重奏は、作品のせいもあるかもしれないが、粒ぞろいの奏者がよりのびやかな演奏を展開、
堂々とした、また繊細なブラームスが楽しめた。
ピアノの上田晴子ののびやかな音楽性、第1ヴァイオリンの漆原朝子の力強さは特筆もの。

会場は満員、ありそうでないブラームス室内楽のプログラムへの需要の大きさを感じさせた。


4月15日 新国立劇場公演「魔弾の射手」(新国立劇場)

ドイツ・オペラの本家本元とも言われるウェーバーのオペラ「魔弾の射手」。
名前はよく知られているが、日本での上演の機会は少ない。
新国でも初めてとりあげられた。
指揮、ダン・エッティンガー、演出、マティアス・フォン・シュテークマンというドイツ人コンビ、
主要なキャストもドイツ系と、「魔弾」にふさわしい布陣。

シュテークマンの演出は、「ドイツ森」をあらわす可動式の壁を装置のメインにし、
それを動かし、また明暗のコントラストをきわだたせて、森に象徴される闇と、光の対比を打ち出したもの。
全体的には簡素で、有名な「狼谷」の場面を除いて、舞台はかなり広く使われる。
演技も分かりやすくつけられ、なじみやすい舞台だった。

歌手では、エンヒェン役のユリア・バウアーが素晴らしかった。
ドイツ語がとてもきれいで、ディクションも明瞭、テクニックも完璧に近い。
ほかのキャストも全体的に高水準。

ひとつ残念だったのは、日本人歌手のドイツ語の発声。
大半のドイツ人歌手との落差がかなり大きい。
日本人でも、たとえば2月の二期会の「ワルキューレ」に出た小森輝彦や横山恵子はその点ドイツ人と遜色がなかった。
(まあこの2人はドイツの生活が長いのだが)。
それにしても、その方面の指導者が必要ではないだろうか。

それは合唱も同じで、音楽に応じたダイナミックな迫力はすばらしかったが、
残念ながらドイツ語の美しさはいまひとつ。
今後の課題かもしれない。

エッティンガーの指揮は筋肉質で躍動感にあふれ、音楽そのものの面白さを教えてくれた。


4月17日 コンヴィチュニー演出「アイーダ」(文化村オーチャードホール)

ドイツの鬼才演出家、ペーター・コンヴィチュニーの演出した「アイーダ」のプロダクションがが来日した。
初演は1994年、グラーツで、コンヴィチュニーの評価を確定したとされるプロダクションのひとつだという。
日本ではまだこの手の演出への抵抗は強いのか、会場は空席が目だった。
まあ、価格も安くないし(私はA席で観たが23000円)、歌手や指揮者も日本で知られたひとはいないので、仕方ないだろうか。

しかしこれは画期的なプロダクションだった。
装置はソファだけ、徹底的に心理劇、室内劇としての「アイーダ」を追求。
凱旋の場でも、式典は屋外で行われているとし、勝者側の乱痴気さわぎをこれでもか、と描写する。
神官のランフィスも、アムネリスとたわむれる始末。
バレエはもちろん一切なし。
アムネリスの部屋で黒人の奴隷が踊るシーンでは、アムネリスがラダメスを想ってもだえていた。
(これはドイツ系らしい、下品といえば下品さだが)

戦勝将軍ラダメスは、血まみれの軍服で登場、
戦争の現実を見て呆然としている様子がよく分かる。
その彼が、戦勝の褒美として、やはり血まみれの「捕虜の解放」を要求する時、それは必然として感じられる。

コンヴィチュニーの凄いところは、細かい動きがすべて音楽と一致していることで、
音楽の表している心理状態がよく分かる。

ドイツで、ホモキやサムエルの演出した、やはり現代的な「アイーダ」を観た事があるが、
この2つは「コンヴィチュニー後」だったのだなあ、と思い当たった。
凱旋の場でバレエのないこと、国家や男性の権力の強調など、コンセプトが似ていたからだ。
それでいて、演技はコンヴィチュニーほど音楽に合っていないから、亜流になってしまっていたのだろう。

最後は現世に残るアムネリスと、あの世へ旅立つ主役2人が対比され、
感動的な幕切れとなった。
涙ぐんでいるひと多数、でした。

やっぱりコンヴィチュニーは天才!である。
このへんで止まっていてくれればよかったのに???


4月18日 東京のオペラの森「エフゲニー・オネーギン」(東京文化会館)

4年目を迎えた「東京のオペラの森」フェスティバル。
今回のテーマは《チャイコフスキー」で、オペラ公演は人気ある「オネーギン」である。
ちなみにオペラ公演は、財政的な関係で今年限りだという。
モーツァルトもプッチーニもロッシーニもやらないで、オペラ公演終わり、というのは寂しいですね。

その最後となった「オネーギン」だが、残念ながらあまり面白い、とはいえない公演だった。
第一の原因はファルク・リヒターの演出。単調なことこの上なく、またあまり品がいいとはいえない。
(ドイツの演出家にありがちな品のなさ、というか・・・)
舞台はモノトーンが基調で、第1幕ではずっと雪を降らせ、登場人物の心理描写をする男女が背景に置かれるが、
あまり工夫があるようには思えず。
また時代を現代にしたのはいいが、第2幕のパーティはあまりにも下品。
振り付けも、若者たちの乱痴気パーティとはいえ、品があるとはいえず、音楽が台無しになっていると感じた。

小澤征爾の指揮はシンフォニックで、チャイコフスキー節は楽しめた。

歌手は、タチアーナ役のイリーナ・マタエワは、役柄にあった可憐で上品な容姿と歌唱で好感が持て、
またレンスキー役のマリウス・ブレンチウのリリックな美声、
グレーミン公爵役のシュテファン・コツアンの堂々としたよく響く低音に魅了された。
この2役は、出番の少ない割にいいアリアがあるから、得な役ではあるのだが。
ブレンチウの声はこれから注目したい。いまどき珍しい明るめのリリック・テノ−ルで、ロドルフォなどぴったりではないだろうか。


4月20日 アンジェラ・ヒューイット ピアノリサイタル(オペラシティコンサートホール)

カナダの女流ピアスト、アンジェラ・ヒューイット。
バッハ弾きとして有名で、今回は「平均律」全世界ツアー(!)の一環として来日。
そのうち第2巻全曲を聴いた。
30分の休憩をはさみ、3時間!の長大なリサイタル。
客席はほぼ満席で、数年前までは空席が目立ったことを考えると、彼女への評価が高まってきたことを感じた。

彼女の演奏は、情熱的だが抒情的、だが決して作品の構成美を崩すことなく、
真摯に作品と向き合う快いもの。
といっても、作品の内部へ沈静しようとするばかりでなく、
美しさも十分に意識し、ほどよいペダリングでさりげない表情を添える。
結果、浮かび上がる「平均律」の音楽世界の多様性の魅力的なこと。

そう、その作品の魅力、懐の深さや美しさを感じさせてくれる演奏は、文句なく素晴らしい演奏といえるのではないだろうか。