2006年6月        

6月7日 ボローニャ歌劇場来日公演「トロヴァトーレ」(東京文化会館)

ドイツから帰国したその日の夜、ボローニャ歌劇場の来日公演に。
今年の来日オペラで、1、2を争うくらい楽しみにしていた「トロヴァト−レ」なので、はずせない!のでした。

ところが、ふたをあけてちょっとがっかり。
なんというか、全体にややしまりがないのだ。
たぶん指揮(カルロ・リッツィ)のせいだと思うのだけれど、めりはりがなくて音楽に伸び、しまりがない。
ドライブのきかない「トロヴァトーレ」なんて、気の抜けたビール、泡のないシャンパンのようです。

期待の歌手陣は、女性はまずまずだったが、男性がややがっかり。
マンリーコ役のアラーニャは、ちょっと弱弱しかったし(なんだか少しやせたみたい。体調が悪いという噂は本当かな・・・心配)、
ルーナ伯爵役のガザーレは、音が終始沈みぎみ。音程もちょっとあぶなかった。
まだまだこれからのひとなのに。。。大丈夫かな・・・

レオノーラ役のデッシーは、さすがの貫禄。安定していて声に艶があり、気持ちよく聴けた。
アズチェーナ役のコルネッティも、声に幅と深みがあり、低い声もよく出ていて聴き応えがあった。

演出(ポール・カラン)もなんだかぱっとしない。
「月」をモティフにしたというが、それはよくあるパターン(新国のファッシーニ演出もそうだった)で、
別に目新しくはない。平凡といっては言い過ぎかもしれないが、どうということはない舞台だった。
人物の動かし方ももたもたしていて(いくらなんでももっと動かしていいのでは)、スピード感に欠けた。

空席がちらほら、それも仕方ないかな・・・

6月8日 コレギウム・ヴォカーレ来日公演「ロ短調ミサ曲」(東京芸術劇場)

ドイツでくさるほど?バッハを聴いたのに、またまたバッハ。
だって私を「ロ短調」の美しさに目覚めさせてくれたヘレヴェッヘ&コレギウム・ヴォカーレの「ロ短調」なんだもの。行かずにはいられません。
何より合唱の素晴らしさがこの団体の魅力。「ロ短調」は合唱の曲なので。

その合唱、さすがだった。フレーズ感がすばらしく、各パートの線がくっきりしつつ色彩感にあふれて
ダイナミック。
対位法音楽の醍醐味、を味わえた。まるで大聖堂で聴いているようだった
何より、合唱のひとりひとりがソリスト級なのがすごい。贅沢な合唱。
最後の第4部は合唱の配置を入れ替え、さらに交唱的な面がきわだった。
やはりヘレヴェッヘの手腕なのだろう。

ソリストでは、ソプラノのヨハネッテ・ゾマーがよく伸びる声で心地よかった。
物足りなかったのはバリトンのトーマス・E・バウアーで、なにより声が通らない。
合唱のメンバー誰かと代わっても同じかも、といったら酷だろうか。ちょっとバランスに欠けていた。

楽団はやや疲れている感じがした。
前日、ドイツからの便に乗っていたそうで、明日はまた韓国へ飛ぶという。
ちょっとハードスケジュールすぎる。マネージャーはそのあたり、考えて欲しい。


6月9日 ボローニャ歌劇場来日公演「連隊の娘」(文化村オーチャードホール)

ボローニャ2日目は、スーパー・テノール、ファン・ディエゴ=フローレス出演のドニゼッティ「連隊の娘」。
超マイナーな作品なのに、フローレスが出るとあって超満員。熱気むんむんでした。

やはりフローレスはすごかった。一声で彼の声と分かる強烈な才能。
どんなパッセージもらくらくこなすハイ・テクニック。そして輝かしい高音。
ほんとに、すごい歌手が出たものです。ルックスもいいし、これからどうなるんだろ?空恐ろしい。
第1幕のアリアでは拍手が止まず、とうとうアンコール。すごい歌手である。

相手役のステファニア・ボンファデッリも、今日はよくがんばっていた。
ここ一番というときには十二分に声を響かせて、山の作り方はばっちり。
彼女の問題?は、声はきれいなのだが個性がない、ということだろうか。
それと、ぎりぎりのところで声を出している、これは否めない。寿命はちょっと心配ではある。
ベル・カントもののブッフォな役で定評のあるブルーノ・プラティコも貫禄。美声に増して声と芝居の洒脱な表情がたまらない。
侯爵夫人役の大ベテラン、エレーナ・オブラスツォワも、ブッファ系の役だったので、
多少のブレも愛嬌?むしろ独特の声の迫力が思わぬユーモアを生んでいた。

指揮(ブルーノ・カンパネッラ)はベテランらしい絶妙なコントロール。
オペラのつぼを承知した人。職人芸で楽しませてくれた。歌手も歌いやすかったのでは。
「トロヴァトーレ」も彼で聴きたかったな・・・

エミリオ・サージの演出もおしゃれ。細かい演技にユーモアがちりばめられていた。
同じ歌劇場の公演でも、ほんとに出演者次第。思い知らされました。


6月13日 ボローニャ歌劇場来日公演「アンドレア・シェニエ」(東京文化会館)

ボローニャの来日公演、三演目の最後に見たのは、「アンドレア・シェニエ」。
1月にボローニャで見てきたものと同じプロダクション、同じキャスト。
で、できもほぼ同じ、でした。

タイトルロールのクーラは、かなりしっかり歌っていて、聴かせどころでは恵まれた素質を堂々と披露してくれたし
(いまどき珍しい重めの、輝きのある声)、
相手役のグレギーナも、やや波はあったものの、やはり聴かせどころではろで力量を発揮、
パワフルな声の魅力で酔わせた。
敵役ジェラールのグエルフィも、いつもながらの端正な役作り、好感が持てた。
このひとは、堅実な持ち味ながらこのまま行くと大型バリトンになりそうな印象、これからが楽しみだ。

カルロ・リッツィの指揮も、「トロヴァトーレ」よりは音楽の全体を掴んでいる印象で、
モティフもくっきりとしていて、スコアがはっきり浮かび上がっていた。

今回の3演目、1がフローレスの魅力で「連隊の娘」、2が「アンドレア・シェニエ」で3が「トロヴァトーレ」。
一番期待した「トロヴァトーレ」でこけたのはがっかり。次回があればぜひ挽回して欲しい?


6月15日 メトロポリタン・オペラ来日公演「ワルキューレ」(NHKホール)

ボローニャと入れ替わりに、メトロポリタンの来日公演。うーん、忙しい!!!
しかも初日から「ワルキューレ」であります。開演5時、終演10時。ふー。オペラ聴くのも体力。

ドミンゴがジークムントを歌う、というのが売りの、今回の「ワルキューレ」。
しかしドミンゴだけではなく、他のキャストも超強力なのが凄い。
デボラ・ヴォイト、デボラ・ポラスキ、そしてジェームズ・モリスと、ワーグナー歌いとして名をなしているひとばかりなんだもの。
これがメトの凄さなのだろう。

さて注目のドミンゴだが、第一幕は健闘、見事な歌唱を聴かせてくれた。
60代半ばとは思えない、つやとハリのある声は立派。
とくにヴォイト歌うジークリンデとの二重唱は、この作品の中でも一番オペラティックな部分(イタリア風)だと思うが、
そのような箇所を美しく聴かせる力はさすが。
やはりこの人はスーパースターである。
第二幕はさすがにちょっと息切れしたが、それも仕方ないかも。

他のキャストも期待通り。特によかったのがデボラ・ヴォイトとジェームズ・モリス。
ポラスキは第二幕の出だしあたり、ちょっと危なっかしかったが、第3幕はすばらしかった。

怪我をしたというレヴァインに代わって指揮をとったエッシェンバッハは、
ついこのあいだ、「リング」をパリでやってきたばかりで、迫力のある指揮を展開していた。
低音で維持するような部分が、やや持たせるのに苦労していた印象があったくらい。

やはりこれだけ歌手を揃えると、作品の面白さも際立つというものだろう。
圧倒され放しでした。少し疲れたけど。


6月19日 プラハ室内歌劇場来日公演「魔笛」(文化村オーチャードホール)

モーツァルト・イヤー記念公演と銘打ち、「プラハ室内歌劇場」が来日。
「魔笛」と「フィガロ」の2大人気オペラで全国公演を行った。
プラハにはいくつもオペラカンパニーがあるようだが、必ずしも特定の劇場を本拠にしているわけではないので、
ちょっと分かりにくい。
このカンパニーについても、プログラムに一応説明はあったものの、いまひとつ像がつかめずじまいでした。
そうそう、今回の指揮者も、「スロヴァキア国立歌劇場指揮者」なんですよね。寄せ集め?

全体的には、それなりの水準でそろえた歌手、左右対称の、正統的だが美しい舞台で、
それなりに楽しめる公演だった。
マルティン・オタヴァの演出は、三人の侍女と三人の童子を同一の歌手が歌うなど
(省エネをかねて?)面白い工夫もあったが、新しいとか何とか言うタイプのものではなく、
安心してみていられるファンタジックな演出。歌手の動きはやや緩慢な感も。

歌手のなかでは、夜の女王を歌ったヴァニュカートヴァーが出色。
きわめて軽いコロラトゥーラだけれど、テクニックはしっかりしていて、
わざと高音を出す冒険もこなすくらい、危なげなく聴かせた。声もきれい。
ザラストロ役のポチャフスキーも、声量のある堂々としたバスだったが、惜しむらくは今ひとつ安定感に欠ける。
とても重量級のおごそかな声なので、ランフィスなど歌ったらいいのでは。

全体的には、おそらく小さな劇場で歌いなれている歌手がほとんどなので、
2300席の文化村ではなく、紀尾井ホールあたりで聴いたら、もっと楽しめるだろうな、という感触。
(タミーノ役のクレインなど、声をはりあげている感じで気の毒でした)

で、問題は指揮(とオーケストラ)。
自然といえば自然なのかもしれないが、ただ流しているだけとも受け取れる音楽づくりで、
「魔笛」ならではの、各曲の立ったキャラが浮かび上がってこないのだ。
疲れている?というだけでは、理由にならないかもしれない。


6月17日、20日 メトロポリタン歌劇場来日公演「ドン・ジョヴァンニ」(東京文化会館)

メトの来日公演、今回一番の楽しみは「ドン・ジョヴァンニ」。
「3公演のうちひとつ」という条件で招待もいただけたので、これを選択。自腹の分と2回行くことができた。

で、これを2回にして正解でした!
まず歌手がそろっている。若手の、これから盛大に開花するだろう歌手を揃えている。
ドンナ・アンナ役のネトレプコしかり、ツェルリーナ役のコジェナーしかり。
主役のシュロットもよかった。20日など、最後の地獄落ちの場面、すさまじい迫力。悪漢ぶりが地についていた。
ネトレプコもよく声が通るし、コジェナーも立派な声、それにも増して個性的な声、挑発的な役作り。
マゼット役のレマルも美声で堂々として、ちょっと田舎臭い感じが役にあっていたし、
レポレロ役のルネ・パーペも達者。
唯一物足りなかったのは、ドンナ・エルヴィーラ役のメラニー・デイナー。
この役は主役と張り合う役なので、もっと力のあるひとが欲しかった。

まあそれにしても、これだけ揃ったのは壮観でした。
主催者の話によれば、最初主役をハンプソンにしようと思ったらしいが、
ハンプソンは一昨年のウィーン国立歌劇場の来日公演でもこの役を歌ったので、
あまり重なってもということでシュロットにしたらしい。
正解でした。年齢が他の歌手と近いから。これでハンプソンだったら、ハンプソンが浮いてしまう。

ケラーの演出は、基本的には正統的だけれど、女性はみな「誘惑する」側になっていて面白かった。
ツェルリーナもドンナ・アンナも積極的。アンナは露骨に?ジョヴァンニを思っているという設定でした。
色んな解釈ができるのが、このオペラの面白さ、です。他のダ・ポンテ・オペラもそうだけれど。

指揮のアンドリュー・ディヴィスは、無難だけれど、オーケストラだけの部分など、もう少し迫力が欲しかった。
序曲しかり、でした。ワクワク感に欠けるかも。


6月21日 マグダレーナ・コジェナー メゾ・ソプラノ・リサイタル(トッパンホール)

メトロポリタン歌劇場で来日中のチェコのメゾ・ソプラノ、コジェナーのリサイタル。
「ドン・ジョヴァンニ」では挑発的なツェルリーナで魅せた。歌曲はいかが?
モーツァルトからシューマン、チェコの作曲家のエベンとドヴォルザーク、そしてヴォルフと、意欲的な内容でした。

女の一番の魅力は、深みと輝きのある「声」、そしてドラマ性。
「声」は、そうですね、漆黒のびろうどに銀ラメをちりばめたような感じ。肌触りのある、奥行きのある声。
テクニックも万全で、安心して聴けるし、酔える。相当な実力派です。

どれもよかったが、深く濡れたような声が一番生きたのは、エベンとトヴォルザーク、チェコの作曲家の作品だった。
イタリア歌曲などもそうだけれど、声は言葉に養われるのだなあ、と感じる。

劇的表現力は、モーツァルトなど見事。小さな歌曲のドラマの可能性を教えてくれた。


6月22日 メトロポリタン歌劇場来日公演「椿姫」(NHKホール)

メトの公演もこれが最後。なんだか大仕事を終える?気分。
で、出し物は、「メトの女王」(なんだそう)の、ルネ・フレミング主演の「椿姫」。
演出ゼフィレッリの豪華絢爛な舞台。これぞメトの王道、というところなのでしょう。

さてそれが、少なくとも歌手にかぎっていえば、惨憺たるものでした。
何といっても(悪い意味で)驚倒したのは主役のフレミング。
アジリタができない。コロラトゥーラの技術がまるでだめ、で、どうしてヴィオレッタを歌えるのか?
第1幕を聴き終えて、正直代役を出すべきだと思った。これはそういうレベルの公演である。
アラーニャが調子が良い悪いの次元ではない。アジリタができないんだから。
この役をやるのが間違っている。信じられない思いで、舞台を見つめていた。
第2幕以降も、それは第1幕よりはましだが、満足いくというところにはいかない。
演技力があると評するひともいるが、昨今のオペラ歌手は演技力は総じてあるので、あれくらいで「声」の低調さを補えるとはいえない。
何より「声」にドラマがないではないか。
いくらヴェルディの作品としては異色の「椿姫」とはいえ、実際の演技力よりまず「声」の演技力が求められるのは、ヴェルディならあたりまえ。
ある大新聞の批評で、演技力を評価していたが、やはりそれだけでは足りない。
なのに日本の観客のやさしいこと、「ブラヴォー」も結構でていたのでがっくりしていたら、
さすがに最後のカーテンコールでは「ブー!」が出ていた。当たり前である。イタリアだったら大ブーイングだ。
休憩時間に会った音楽ジャーナリストも、「だいたい彼女にこの役は合わない」と言っていたし、
私のツアーに来てくれているオペラ歴??年のおばさまも、??年のおじさまも(「金返せ」と言っていた)、同意見。
イタリア語がキレイでないことも問題。歯切れが悪く、ずるずるずるずる聴こえてしまう。明晰さがないのだ。

ジェルモン役のホロストフスキーも、まあ人気のひとなのだが、ジェルモンというにはまだまだ。
「滋味」がない。声にもくせがあり、こもりがちなので、輝かしさがない。
イタリア語の問題もあるでしょう。

で、結局、一番素直に聴けたのが、事前に一番期待していなかったヴァルガスというのが皮肉なのでした。
ヴァルガスは何度も聴いているが、あまり感心した覚えはなく(工夫がないので)、
なのに今夜は、まともに声が出ているのと、イタリア語がきれいなので、一番耳についたというわけ。
一本調子なのは相変わらずだが。

指揮のパトリック・サマーズはまあ普通。ただ歌手に合わせるだけではなくて何か欲しいけれど・・・

しかし思った。これはメトのスター・システムの悪い面が出た公演である。
役にあっていなくとも、スターを優先させてしまうという。
フレミング、ホロストフスキーの起用はその典型。作品の価値はどうなるのだ。


6月26日 新国立劇場公演「こうもり」(新国立劇場)

今月の新国の新制作は、オペレッタ「こうもり」。
外来オペラ・ラッシュのあおりか、客席は空席が目立った。
お客を食い合っているなら残念なこと・・・。

公演のできばえは満足の行くもので、数日前のメト「椿姫」で懲りていたので、
コストパフォーマンスのよさを痛感した。

一番楽しめたのは、ベテラン歌手で、これが演出家デビューというハインツ・ツェドニクの演出。
「こうもり」は4役を経験しているというだけあって、作品を知り尽くしている感じで、楽しませてくれる演出に徹していた。
せりふの部分に日本語を沢山入れたり、(日本人歌手同士の所は日本語だけだったり)、
サービス精神たっぷり。
また、舞踏会の場面は新国の広い舞台を存分に生かして、迫力満点。
最後の最後で、監獄の背景がぱあっと開いて昨夜の舞踏会が出現する、というアイデアもナカナカ憎い。
舞台の雰囲気はアール・デコ調で、衣装はクリムトの絵画風(「着物」も意識したそう)、
19世紀後半のウィーンが舞台の作品ならでは、目にも楽しかった。

ヨハネス・ヴィルトナーの指揮も手馴れた感じ。舞踏音楽の呼吸を身につけた指揮と感じた。
やはり日本人ではなかなかこうはいかない。真面目すぎてしまうことが多いのだ。

歌手のなかでは、アデーレ役の中嶋彰子が出色。この手の作品はもう手中に収めているという印象。
コロラトゥーラもきれいに決めていた。
オルロフスキー公爵役のツィトコーワは、ちょっと個性的な声、でも公爵の退廃的な雰囲気には悪くない。
アルフレード役の水口聡は、ちょっと歌いすぎと感じたが、
この役の極端さ、おめでたさ?を目立たせるためのキャストということなら、OKなのだろう。
その他、歌手は多少のばらつきはあったが、中嶋さんレベルで全員をそろえろというのは酷というものでしょう。

全体的に質の高い公演で、改めて繰り返すが空席が惜しい。
何とかいい解決方法がないものだろうか。


6月28日 ベッリーニ歌劇場来日公演「ノルマ」(東京文化会館)

シチリア島のカターニャにあるベッリーニ大劇場、
今回の来日演目は、いずれもその名をとった作曲家の、「ノルマ」「夢遊病の娘」の2本。
「ノルマ」は最近活躍のドラマティック・ソプラノ、テオドッシュウ主演で、こちらのほうが人気は高かったようだが、
それでも空席が目立った。
やはり今月のオペラ・ラッシュで、食い合っているのではないか。

肝心のテオドッシュウだが、特に前半では、コロラトゥーラ、とくに高い音は時々割れかかったり、
またアダルジーザ役のパラチオス(まずまず)との二重唱では完全に音程がずれて耳を覆いたくなったものの、
ドラマティックナ部分はかなりなは迫力。
後半は、コロラトゥ−ラもきれいに、また演技も含めて全体的に白熱してきて、なかなか聴き応えがあった。
オロヴェーゾ役のザネッラートも好演。
ポッリオーネ役のヴェントレは、多少まだ余裕のなさ、不安定さがあったが、
声自体は美声で声量もあるので、これから経験を積めばいいところまで行くかもしれない。

指揮のジュリアーノ・カレッラはベテランらしく、歌手に歌わせることを第一にしていて、好感が持てた。
パリアーロの演出は、可もなく不可もなし、という感じ。

やはりプリマドンナ・オペラ。そして傑作ではある。


6月29日 ベッリーニ歌劇場来日公演「夢遊病の娘」(東京文化会館)

昨日に続いてベッリーニ歌劇場公演の2本目、「夢遊病の娘」。
今日は昨日よりさらに客席がさびしく、主催者は大丈夫だろうかと心配してしまった。地方公演で何とかなるのだろうか。

主演のソプラノ、ボンファデッリは、典型的なビジュアル系。
ボローニャの来日公演「連隊の娘」ではまずまずだったのだが。

今回は残念ながらはずれ。なんと言っても声自体に魅力(個性)がないので、
演技力でかなりカバーできる「連隊の娘」と違い、プリマ・ドンナ・オペラの「夢遊病・・・」だと、
声のつまらなさが際立ってしまう。
高い声域で声をはりあげるのだが、いっぱいいっぱいという感じでいたいたしいし、
繰り返しだが声がつまらないので、聴いていて耳をふさぎたくなってしまった。

後の歌手も大半は今ひとつ。
ロドルフォ伯爵役のカルロ・レポレのみ、声量と美声度ではまずまずだったが、それくらいだろうか。
指揮(カルロ・パッレスキ)も退屈。音楽も「ノルマ」ほど完成度は高くないので。

それにも増して芸のなかったのが演出。
紗とスクリーンを使い、最後でヒロインの夢遊病が覚めたところで紗を取って、
夢遊病からの解放?を暗示したらしいが、後はほとんど演技付けもなく、
歌手は舞台の上に設けられたもう一つの舞台?の上をオルゴール人形みたいにゆっくり動くだけ。
音楽に加え、こちらも退屈で、帰りたくなってしまった。

客席の寂しいのもむべなるかな。これも地方公演で何とかなるのだろうか・・・


6月30日 ゾルタン・コチシュ ピアノリサイタル(フィリアホール)

もう四半世紀くらい前(!?)、ハンガリーの「三羽烏」といわれたピアニストのひとり、
ゾルタン・コチシュ。
あのころはすごおく?可愛かったですが、いまや大家の仲間入りをしているようで、
指揮者としても活躍中。
青葉台の小さなホールで聴く。

久しぶりに聴く彼は、なんだかハンガリーの人柄のよさそうなおじさんになってしまっていたが、
「三羽烏」のなかで一番颯爽として、ヴィルトゥオ−ゾっぽい?印象を持った演奏は、変わらず。
抜群の技巧、安定感は凄い。
さらに言うなら、ピアノという楽器を聴く肉体的快感を教えてくれる。
余韻の残し方、つなぎ方も抜群だった。
リストなどとてもうまかったし、またドビュッシーでは、めくるめくような音色とともに聴く快感を堪能させてくれた。
モーツァルトも、昨今にしては強烈、個性的なモーツァルトという感じ。
最後のシューマン、「ノヴェレッテ」のみやや退屈。音色の変化が余り前面に出てこないからだろうか。