2005年3月        

3月5日 彩の国ヴェルディ・プロジェクト「吟遊詩人)トロヴァトーレ)」(埼玉会館)

久しぶりのヴェルディ「トロヴァトーレ」。
「彩の国」、つまり埼玉で、「ヴェルディ・プロジェクト」なるものを立ち上げ、その第一弾とのこと、
いそいそと浦和まで出かけていく。
とくに演出の高島勲氏に期待していた。

演出は期待通り、というか、とてもキレイだった。
狭い舞台を生かし、舞台上の装置は最低限、両脇のパネルだけ。
あとは照明を駆使し、また舞台に段差をつけて奥行き感を出し、
背景はスクリーンにして、時にその前に人物をシルエットで浮かび上がらせて雰囲気を出す。
凝っていたのは衣装で、びわ湖ホールのヴェルディ・シリーズの衣装を担当しているデザイナー、
イタリア人のアルメリーギに制作を頼み、その衣装の美しさで魅せた。
第4幕第1場、ヒロイン、レオノーラの見せ場「恋はばら色の翼に乗って」の場面で、
雪のような紙片を降らせたのも、場面に合っていてきれいだった。

歌手は、うーん、今ひとつでした。残念ながら。
レオノーラの水口恵子は、後半しだいによくなったが、もともとちょっと細目の声で、あとコロラトゥーラが決まらない。
マンリーコの渡辺直人は、声自体は美声だし、声量もあるのだが、音程が不安定で間延びしてしまう。
引きずる感じになってしまって違和感が残った。声量が少し小さくても、安定している方が聴いていて心地いい。
ルーナ伯爵の宮本聡之は、高音に魅力がなく、この役の輝かしさを出し切れていなかった。
アズチェーナの小道一代が、一番安定していただろうか。

やはり日本人歌手には「トロヴァトーレ」は難しいのか、それとも今日聴いた歌手が今ひとつなのか・・・・・

指揮の現田茂夫は力演だったと思う。
この作品に不可欠な「間」の取り方もよく研究していると思った。
ただオーケストラがついて来られないのか、どうしてもこの作品特有の歯切れよさ、
熱っぽさが今ひとつ現れてこない。

やはり日本のオケには「トロヴァト−レ」を景気よく響かせるのは難しいのか・・・・

偏見かもしれないが、ついそう思ってしまう。
伝統芸能的イタリア・オペラ最右翼の「トロヴァトーレ」だからだろう。



3月6日 二期会公演「魔笛」(新国立劇場)

二期会が新国を借りて(場所だけ)主催する公演、今年はおなじみ「魔笛」。
二期会にとっては得意演目、そして今回は演出の実相寺昭雄もだが、アニメの加藤礼次郎が衣装を担当するので話題になり、
4回公演はほぼ満席の盛況だった。

いやあ楽しかったですね。
やはり演出、そして衣装がダントツの効果。
アニメのキャラがたくさん出てきて、お客さんは大喜びでした。
モノスタトスが踊らせる怪物がゴジラだったり・・・
すみずみまで芸が細かく、パパゲーノが「おいらは鳥刺し」を歌いながら鳥を撃ち落としたり、
「パパパ」の二重唱では、プロンプターが赤ん坊の人形を差し出したり、
とにかく楽しませてくれた。
歌手陣も、歌もよかったけれど演技も達者で、大いに楽しめました。
とくにモノスタトスの高橋淳。先月の新国の「ルル」もよかったが、今回もすごく存在感があった。
ベテラン長谷川顕のザラストロもさすが。
夜の女王の北村さおり、パミーナの星川美保子、もよくこなしていたが、
タミーノの高野二郎、新国の「ルル」よりぐっと声質にあっている感じ。

これがオペラ指揮デビューという下野達也の指揮も歯切れよく軽快で
オペラデビューとは信じられないのりのよさ。
いろんな意味で内容の濃い公演だった。

二期会がこれだけの公演をしてしまうと、来シーズンの演目に「魔笛」を出している新国の前途はいかに?


3月21日 バッハ幻の「結婚カンタータ」(サントリーホール小ホール)

ヨーロッパ旅行から帰国し、自宅に荷物だけ置いてかけつける。
このために帰ってきたのだ。何十年ぶりに再発見された、バッハの「結婚カンタータ」が、復元され、世界初演されるというので。
ちなみにこの作品(BWV216)、再発見されたといえ、声楽パートしかないので、
通奏低音をはじめ器楽パートを復元しなければならない。
大変な作業だが、アメリカの音楽学者、指揮者のジョシュア・リフキン氏によってその復元が行われた。
バッハの結婚カンタータは、このほかに2曲あるが、いずれもソプラノ独唱用。
これはソプラノとアルトの2重唱なので、その点でも要注目といえるだろう。

チャーミングな曲になっていました。
ふらふらのうとうと状態でしたが、ほんとに嬉々とした、ハッピーな音楽に仕上がっていた。
バッハの音楽は「喜び」だというひとがいるが、まさにどんぴしゃり。
トラヴェルソとダモーレを加えた編成が、甘さをかもし出していた。
2人の外国からの女性歌手、とくにソプラノのリディーンがチャーミングでしたね。


3月22日 「東京のオペラの森」公演「エレクトラ」(東京文化会館)

小澤征爾監督のもと、今年からスタートした「東京のオペラの森」。
「言いたい放題日記」にも書いたが、会場となる東京文化会館の落下傘的使用、
外国人歌手や寄せ集め楽団など、「東京からの文化の発信」とするにはいろいろなトラブルを抱えての船出だったが、
音楽的な成果はさていかに。

結論から言うとレベルはやはり高かった。
「やはり」と書いたのは、とにかく歌手が一流どころばかりだから。
主役のポラスキ、敵役?のバルツァ、そして男声陣のグルントヘーバー(オレスト)、メリット(エギスト)、
みんなすごい歌手ばかりなんだもの。これで成功しなきゃうそ?かも。
ポラスキの豊かな声量、卓越した表現力、
バルツァの存在感、迫力、自在なよく通る声、神経症的な役作りの巧みさ、
やはり神経症的で弱弱しいエギストを緊張感とともに作り上げたメリット、
とにかくみんなすごかった。

対してオーケストラは、やや物足りない感あり。
シュトラウスらしい豊穣さがもっと欲しかった。
寄せ集めの弱みもあるのではないだろうか。
日本経済新聞の批評にもあったが、「東京のオペラの森」とうたう以上、
東京の既存のオケを使うのが本筋、という主張はまったくその通りだと思う。

もうひとつ卓越していたのが演出。
ギリシャ悲劇にふさわしいモノトーンで創られた舞台は、
すりばちの底のような閉鎖的な空間。
そのなかで繰り広げられる息詰る心理ドラマを、
影や、主役のエレクトラの分身(20人くらい?の黙役)を駆使して描き出す。
分身に語られるエレクトラの内面のリアルなこと。
彼女が死んだ父を思うと、その父の遺骸を分身たちが墓穴?のような穴から引き上げて高々とかつぎあげるのだ。
恐るべきドラマの雄弁化、視覚化である。

それにしても、暗い神経症的なドラマをまさにその通りにこれでもか!と演出してしまったので、
見事な一方、オペラ初心者には勧められないですね。
だって、「オペラって暗くて陰鬱なもん」と思われてしまうだろうから。
そういう話と音楽なのだからしょうがないんだけど。



3月29日 新国立劇場公演「コシ・ファン・トウッテ」(新国立劇場)

3月の新国は、モーツァルトの名作「コシ・ファン・トウッテ」。
ヒロインのひとり、フィオルディリージのヴェロニク・ジャンスが、今回は一番のお目当て。
クリスティのもとで育った、センスのいいソプラノ歌手なのです。

そのジャンス、やはりうまいと思った。
テクニックは万全だし、声がやわらかく、繊細で、しかもふくらみがあり、微細な表情が幅広く出せる。
残念なのは、声量があまりないので、新国の空間が大きすぎたこと。
もっと小さな会場、そうチューリヒくらいで聴いてみたかった。

歌手では、女性陣ではデスピーナ役の中島彰子が健闘。
小柄なのに、声量も十分だし、演技がうまい。
ちょっとおばさんぽい?感じが気になったけれど。衣装のせい?でしょうか。
ドラベッラのファビオラ・エレッラはややミスキャスト気味。
暗くて翳のある声なので、オペラ・ブッファ向きとはいえない。
アンサンブルでも、きれいにハモっていたものの、声の質感としては違和感が残った。

男声陣は、ジョン・健・ヌッツオのピンチヒッター、グレゴリー・トゥレイが健闘。
将来性を感じさせる素直な声。モーツァルトは適性ありなのでは。
ドン・アルフォンゾ役のヴァイクルは貫禄といえば貫禄だが、何だか力の8割くらいしか出していない感じあり。
余裕すぎ?

指揮(ダン・エッティンガー)は快速調。
爽快だが、ときどき歌手と合わなくてはらはら。とくにヴァイクルと合わない場面が目立った。

女性演出家のコルネリア・レプシュレーガーによる演出は、
現代的な味のしゃれた演出。
庭園と書斎の2つの場面を、回転装置(舞台)を使ってうまく使い分けていた。
最後は、なぜかフィオルディリージとフェルランド(口説きくどかれ同士)だけがカップルになる幕切れ。
つまり元のさやには納まらない。
ドラベッラはなぜかデスピーナと、グリエルモはドン・アルフォンソと寄り添う。
フィオルディリージとフェルランドだけが真のカップル、ということかしら。

読売新聞の安田和信さん、そういうわけで、あなたが書かれたように、「1組だけもとのさやにおさまる」結末ではありませんでしたよ。
それから、「コシ」の結末は、演出家としては何かをやらずにはいられないんじゃないでしょうか。