2003年9月        

9月2日 ミラノ・スカラ座来日公演「マクベス」(東京文化会館)

イタリアから帰り着き、さて始まる9月はヴェルディ月間。何と今月は11回のオペラ(うち2回はウィーン)すべてがヴェルディなのだ。
しかもトップをスカラ座が切ってくれる。何と幸せ!

今日は「マクベス」。3作あるヴェルディのシェイクスピア・オペラの第1作。
若書きながら異様な迫力のある作品。

まず瞠目したのは合唱。統率力に加え、デユナーミクのつけ方など、迫力満点。
歌手も粒ぞろい。
主役マクベスのレオ・ヌッチ(バリトン)は、60過ぎという年齢からかさすがに声量など今ひとつだったが、
演技力、表現力でカバーしていた。
幕切れのアリアはさすが!という歌唱。
出色だったのが、マクベス夫人のパオレッタ・マッローク(ソプラノ)。
たしか2年前にも来日して、藤原歌劇団公演で同じ役を歌ったが、
段違いの進歩を見せていた。
まず登場のアリアが迫力。声量、テクニックとも瞠目もの。
幅広い声域にまたがる至難の役を、あざやかに演唱しきった。
脇役もみごと。マクダフのリチートラ(テノール)は、さすがスカラ座の第一テノールという素晴らしい声だったし、
バンクォーのアブドラザコフ(バス)は、最近めきめき伸びているひとだが、これも見事な声量と声だった。
脇役までレベルが高いのが、やはり超一流の歌劇場の証明だろう。

そしてもちろん、指揮者ムーティの統率力。メリハリをつけながらぐいぐい引っ張る力はすごい。
歌手の力も十分に尊重しているようだった。

演出(グレアム・グイック)も出色。
舞台のまんなかに大きな正方形の箱があり、それを自在に使って、
どろどろした劇をすっきり見せた。
このようなおどろどろしい内容には、シンプルな演出が合う。

さすがスカラ座!大満足の一夜でした。

9月5日 ミラノ・スカラ座来日公演「マクベス」(東京文化会館)

「マクベス」の2夜目。歌手は、マクベス夫人が代わったほかは2日と同一。

で、そのマクベス夫人(タチアナ・セルジャン)だが、うーん、いまいちでしたね。
容姿も声もかわいらしすぎて、マクベス夫人のような猛女には向かない。

ヴェルディは言っている。「マクベス夫人は醜くなくてはならない」
「声は不快で、しわがれていなくてはならない」。
なぜなら彼女は邪悪だから。

まあ、本当にこの通りだと舞台で引き立たないだろうが、
この役にはやはり特別な存在感、気迫が必要だと思う。

ヌッチは徐々に調子が出てきたようで、2日よりよかった。


9月10日 ミラノ・スカラ座来日公演「オテロ」(NHKホール)

スカラ座の来日公演、2演目目は「オテロ」。ヴェルディ究極の傑作だ。
主演歌手を知らなかったので正直不安だったが、第一声を聴いて吹っ飛んだ。
クリフトン・フォービス(テノール)。アメリカ人の大男。すごい歌手が出てきたもんである。
経歴を見ると、パルシファルとか、ジークムントとか、ワーグナーの大役ばかり。納得してしまった。

他の歌手もおおむねよかった。
デスデモナのアンドレア・ロスト(ソプラノ)は、以前きいた通り美声。
演技もなかなかなまめかしく、誘惑するデスデモナ、みたいな感じで、大人のデスデモナを見た思い。
イヤーゴのレオ・ヌッチ(バリトン)はやはり声量は往年ほどではないが、
歌、演技とおしての演技力、存在感が抜群。やはりまだまだ一流である。
モンターノのラーナ、伝令のバナリエッロなど脇役も充実。
一人ものたりなかったのはカッシオのチェザーレ・カターニ(テノール)。
声、演技ともに軽い感じ。カッシオというのはそういう役なのではないか、といわれればそうかも知れないが。

演出(グレアム・グイック)もよかった。
「マクベス」ほど斬新ではないが、舞台の回転をうまく使い、
とくに第3幕でオテロがイヤーゴとカッシオの話を盗み聴きする場面で、
オテロを地下に隠れさせ、3人の表情を上下で進行させたのはとてもわかりやすかった。
少々渋めの色彩感も作品にあっていた。

そしてやはりムーティの指揮のうまさ。
6月にフィレンツェで聴いたメータに比べ、聴かせどころは歌手に任せているのが印象に残ったが、
全体の統一感の掴み方は素晴らしい。
この日は皇太子ご夫妻が来場したのだが、「君が代」をやらなかった。
ワシントン・オペラで、ゲルギエフが小泉首相の来場に「君が代」をやったのをおぼえていたので、
ちょっと驚き。でもムーティの芸術家魂に、内心快哉を叫んだ。
その種の敬意より、自分の音楽を優先させたということだろう。
それも芸術家の生き方だと思う。


9月19日 イル・トロヴァトーレ(演奏会形式)(文化村オーチャードホール)

今年68歳のメゾ・ソプラノ、フィオレンツァ・コッソットをメインにすえた、ヴェルディの「トロヴァトーレ」、
演奏会形式の上演。
男性歌手は韓国人、指揮はイタリアの女性指揮者で、まあコッソットを聴くための公演。
本当は「トロ」は主役級の歌手4人をそろえてはじめて聴き栄えのするオペラなのだけれど。
今なお人気の高いコッソットだから、まあこういうのもありなのかな。

そのコッソットだが、8月のリサイタルはかなりはらはらしたが、今日はまずまずだった。
なにしろ存在感が凄い。圧倒的。声量も同じ。劇的表現力も健在だった。
音程のふらつきと高音が出ないのは、これはもう仕方がないという感じ。
それを補ってあまりある熱演だった。

他の歌手では、ソプラノの関定子は、声が美しいのが何より美点。テクニックも安定していた。
まあレオノーラという役柄にはちょっと弱いような印象は受けたが(役の印象としては蝶々夫人か)、まずまずの好演。
マンリーコのチェチェル・ペー(テノール)はよかった。
声はやや暗いが、力量は十分。パワーもスタミナもある。
「火刑台の炎」では客席を沸かせていた。
物足りなかったのはルーナ伯爵のハンス・チョイ。韓国では有名な歌手らしいが・・・
声が暗いのと、低いのが気になった。
ルーナ伯爵はハイ・バリトンだから、高くて輝かしい声がいい。

合唱(東京オペラシンガーズ)は、改めて実力を確認した。世界レベルの合唱だと思う。

指揮は伴奏に徹していた。オケ(東京フィル)は、このところスカラだウィーンだと聴いている耳にはなんとも物足りなかった。
リズム感が決定的に不足しているのだ。
ただ流しているだけでは、ヴェルディの「ウンパッパ」リズムの魅力は出てこない。


9月20日 新国立劇場公演 「アイーダ」(新国立劇場)

スカラ座とならぶ今月のハイライト、新国立劇場の「アイーダ」。
開場公演として行われ、これまで再演希望がだんとつに多かったのに、これまで再演がなかったのだ。
とにかく売り出し15分でソールドアウト、チケットを手に入れるのが大変だった。
人気の最大の理由は、たぶんゼフィレッリの豪華絢爛な演出。
今回、指揮オーレン、演出ゼフィレッリという、ヴェローナと同じコンビになった。

演出はやっぱり凄かった。
装置もだが、いつも思うのはゼフィレッリの人の動かし方のうまさ。
とにかく人物の動きが機敏で、無駄がなく、効果的で華麗なのだ。
まさに目を奪われるという感じ。

それにしても、小道具のひとつひとつにいたるまで贅沢に作られている。
「凱旋の場」(馬も出た)で凱旋行列に使われた小物のふんだんだったこと。
舞台上に登場するのはほんの数秒だから、とほうもない贅沢。

「アイーダ・トランペット」も舞台上から客席に向かって吹き鳴らされ、壮観だった。

幕切れの二重舞台も圧巻だった。
舞台下に地下牢が準備されていて、それがせりあがってくるのだ。
新国だからできることだろう。
それがあるから、その前の場でラダメスが判決を受けてすぐ地下牢に入ることができる。
この入牢のところも効果的だった。

歌手は熱演。
今日はダブルキャストのAが中心。
すごかったのはラダメスのクピード(テノール)。
こんなに声量のあったひとだっけ?まさに朗々とした声、歌手になるために生まれてきたようなひと。
アイーダのノルマ・ファンティーニ(ソプラノ)も美声だった。
きれいなひとだし、動作もチャーミングで、魅力的な歌手。
アムネリスのディンディーノ(メゾ・ソプラノ)、ドラマティックな表現力で第4幕第1場を圧倒。
アモナズロの牧野正人(バリトン)もとてもよかった。
身体全体での発声、迫力満点。日本人としてはスケールの大きな歌手だと思う。


9月21日 新国立劇場公演 「アイーダ」 (新国立劇場)

新国「アイーダ」、2夜目。
今日はBキャストが主で、やはりAキャストとはずいぶんちがっていた。
これほどA,、Bで差のある公演もめずらしい。
ラダメスのフラッカーロ(テノール)、アイーダのフラタルカンジェリ(ソプラノ)とも、声のつづかない傾向あり。
アムネリスの藤川真佐美(メゾ・ソプラノ)はがんばっていた。
歌手で本当によかったのは、ランフィスのコロンバーラ(バス)。
朗々としたいい低音、立体感のある声で聴き応えがあった。

全体のできを反映してか、カーテンコールもまがぬけたりしたのがご愛嬌?
本当はまずいんだけどねえ。


9月22日 マクデブルク歌劇場公演 「アイーダ」(文化村オーチャードホール)

ほんとに偶然に、この時期に重なる「アイーダ」。
マクデブルクというドイツの小劇場の公演だから、もともとあまり行く気はなかったのだが、
いろいろな付き合いで行くことに。
だいたいドイツの地方の劇場がなぜ「アイーダ」か、という疑問はある。
「アイーダ」だとお客が入るから?
げんにほとんど満員でしたが。

まあ、ひとことでいうと「学芸会」でした。
歌のレベルから、カーテンコールの出てき方まで。ほんと学芸会。

歌手がそろいもそろってだめ。アイーダ(アニータ・バーダー、ソプラノ)は声量がないし、高い音が出ない。
アムネリス(ガブリエラ・ポペスク、メゾ・ソプラノ)は迫力はあったが、これも高い声が出ないのでイマイチ。
きわめつけはラダメスのヴォルフガング・ミルグラム(テノール)で、声が続かなくて息継ぎばかり。
バイロイトで「タンホイザー」の主役を歌ったなんて信じられない。
おまけに高い声も出ず、これは調子でも悪いのかと思っていたら、あんのじょう途中で交代になった。いやはや。
ピンチヒッターのローレンス・バクストはまだ声が出ていた。このなかではわりとイタリア・テノールに近い声。
まあ様式感なんてものはありませんが。
みんな、だいたいこんな大きな劇場でやったことなんかないんじゃないかな。

合唱はいかにも貧弱。だいたい数が少なすぎる。ヴェルディで合唱をけちったらだめだよ。

演出(マックス・ホフマン)は、少ない予算でまあまあよくやったと思う。
装置が貧弱(布ばかり)なのを、バレエや動きを活用しておぎなっていた。
衣装はちょっとけばけばしすぎ。なんで奴隷のアイーダが、花嫁衣裳みたいな豪華なドレスを着るのかな。

よかったのはバレエ。そして予想をよく裏切ったのが指揮(天沼裕子)。統率力のある指揮だった。
オケもまずまず、弦の響きなど美しかった。

幕の開閉のタイミングは一考の余地あり。全体に早くあがりすぎる。

プログラムに載っていたN先生の解説?にまたも絶句。
「オペラ王ヴェルディ」というタイトルのエッセイが、なぜヴェルディの女性関係の話になるのか。
タイトルと中身をちゃんとあわせて書いてくださいよ。
作品の価値など何もふれていない。これではただの雑談。
編集する側も気配りするべきだと思うよ、ほんと。

それに比べて、黒田恭一さんのエッセイは「アイーダ」の本質をよく突いていた。
「一見華やかに見えるが、実はよく聴き込まなければその魅力はわからない」という趣旨、
同感でした。


9月23日 新国立劇場公演 「アイーダ」 (新国立劇場)

新国の「アイーダ」、楽日。
やはり今日が一番よかった。
キャストもみんなAキャストだったし、
いつも思うのだが、歌手もだんだん緊張が取れてきて、楽日はよくなるような気がする。

アイーダのファンティーニ、本当に声がきれい。
アムネリスのディンディーノも、円熟した劇的な歌唱だった。
ランフィスのコロンバーラにも改めて感銘。すばらしいバス歌手。

そしてやはりゼフィレッリの演出のすばらしさ。
とにかくすみずみまで演技が行き届いている。
会場で会った知人によれば、たとえばファンティーニのアイーダが「凱旋の場」に出ている時、
凱旋行列を眺めながらラダメスを探すよう指導するそう。
そしてラダメスを見つけたら、喜ぶように指示するのだそうだ。
うーん、すごい。

「これぞオペラ」を堪能した公演だった。

9月24日 マクデブルク歌劇場公演「アイーダ」 (文化村オーチャードホール)

怒涛のような「アイーダ」5連夜も、これで最後。
今日は当初の予定だったAキャストではなく、Bキャストが中心だったが、そのほうがよかったのだから歌手は水物。

アイーダのアディーナ・ヴァレンティン・ヴァイゼンベルクは少なくともバーダーより声は出ていたし(高音はちょっと苦しい)、
ラダメスのローレンス・バクストも、ともあれ声はある。
アムネリスはAキャストのポペスクだったが、ちょっと歌いすぎて疲れたのか、22日より声が下がっていた。
ポペスク、ヴァイゼンベルクとも高音が出にくい。弱い。

演出だが、22日にも感じたのだが、第1幕第1場をどうして三重唱で中断し、幕を下ろしてしまうのだろうか。
舞台転換のためかもしれないが、ここは音楽は連続しているのだから、切るべきではない。
切らないですむよう工夫するのが筋というものだろう。